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2021.10.17 シンポジウムvol.2(2)『一般社団法人子どもの声からはじめよう』の活動

2021.10.22

イベント

子どもアドボカシー

子どもの声からはじめよう

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2021年10月17日のシンポジウム第2回がオンラインで行われた。テーマは「子ども・若者と共に歩む社会へ~子ども・若者達と共にアフターケアを考えよう~」。 名古屋を拠点にアウトリーチ活動を行う**『NPO法人全国こども福祉センター』と、アドボカシーを推進する『一般社団法人子どもの声からはじめよう』**の2つの団体に、子どもや若者と「一緒に」考える、活動することについて、それぞれの視点や実践を報告してもらった。 一般社団法人子どもの声からはじめようから話題提供として、代表理事の川瀬信一さん、ユースのきくたけゆきさん、未來さん、アドボケイトの美和さん、花乃さんがお話しした。

●「子どもアドボカシー」の取り組み~川瀬信一さん

(川瀬)川瀬信一と申します。ふだんは中学校の教員をしています。それと「子どもの声からはじめよう」という団体の代表として、「子どもアドボカシー」という取組を進めています。

最初に、子どもアドボカシーについて簡単に紹介します。子どもアドボカシーとは、よく「子どものマイク」にたとえられることがありますが、もともとアドボカシーは、「困難に直面している人たちの声を上げる」という意味があります。子どもにとって声を上げることは、やっぱり簡単ではなくて、子どもアドボカシーは、子どもが、自分が伝えたいと思う相手に、自分の気持ちや考えを伝えていくことをサポートする取組です。

私たちは、子どもの声が尊重される社会を実現したい思いで、2018年から活動を始めました。まずは、カナダやイギリス、そういう外国で先行している子どもアドボカシーの取組、あるいは、国内で先進的な取組をしている実践者や研究者に教えていただき、仲間を増やしてきました。

昨年度はこの子どものアドボカシーの取組を進めていくために、施設や里親家庭を経験した若者と一緒に、子どもアドボケイト養成講座を開催。講座を修了した方の中から、実際に現場で活動する5名の方にお願いすることになりました(資料では6名と記載)。今年の6月から、児童相談所の一時保護所を訪問して、子どもアドボカシーの試行的な実践を始めました。

やっている内容は、保護された子どもたちにアドボカシーの説明をして、子どもの権利について知ったり考えたりするワークショップをやったり、一緒に遊ぶことを通して子どもとの関係性を築いて、子どもから話を聞かせてもらう、そういう取組です。更に、子どもから申し出があれば、児童相談所の職員さんやご家族、そういう方に伝えたいことを伝えるサポートもしています。子どもが自分で、あるいはアドボケイトと一緒に気持ちや考えを伝えたり、代わりにアドボケイトに伝えてもらったりしています。

一時保護所の職員や、家族との通信に関しては児童福祉司に伝えて、子どもとの面談が行われます。面談の後、自分が意見を伝えた結果どうなったのか、大人は納得のいく対応・説明をしてくれたのか。そういうことを次の訪問で確認します。

これまでに、59回訪問・個別の面談をして、19件、意見表明の申し出に対応しています。

また、子ども同士の暴力や、職員からの不適切な関わりのような権利侵害が発生した場合には、管理職などとどう対応するかを話し合います。

定期的な訪問に加えて、アドボケイトが社会的養護を経験した方や専門家から助言を受けたり、訪問から得られた気付きを共有する定例研究会と、児童相談所に1ヶ月の活動を報告して、子どもの権利保障の観点から改善すべき点には提案を行う定例協議会を実施しています。

アドボカシーの成果と課題

訪問アドボカシーの成果と課題もまとめました。まだ3ヶ月ですが、お子さんのインタビューから、すごく好意的に見てくれているように思います。特にアドボケイトとの対話が安心感につながっている。それから、アドボケイトとの関わりの中で、「自分は意見を言っていい」と実感できている。職員と異なる立場で、秘密を守ってくれる存在として認めてもらえたり、アドボケイトと話したことでケースワーカーが動いてくれたり。そういう肯定的な意見を子どもからいただきました。

一方で、アドボケイトの訪問時間が限られていて、短いという声もありました。また、自分からアドボケイトに話しにくい子どもや、集団生活の中で、相談していることを職員や他の子どもに知られないようにするにはどうしたらいいのか。外国にルーツを持つお子さんや、障害があるお子さんに、どうアドボカシーの機会を提供していけるか。意見表明した後、それが実際に効力を持つようにするためにどうフォローしていくかなど、課題もあります。こうした課題を克服し、当事者が参加する、視認性の高い子どもアドボカシーの取組を定着させていきながら、保護された子どもの声が尊重されるようにしていきたいと思います。

●ユース&アドボケイト4人のリレートーク

(川瀬)今日は、有希さん、未來さん、花乃さん、美和さんという4人の仲間で来ています。子どもの声をどう大切にできるのか、ちょっと違う観点で話していただきます。

(有希)岡山に住んでいる有希です。ふだんは環境系の企業でリサイクル関係の施設の建設に携わっていて、事業計画などの仕事をしています。私も社会的養護で育った経緯があります。

(未來)こんにちは、未來です。私は小・中でいじめを受けて、居場所がなくて14歳くらいから家出をして、15歳から19歳頃まで児童相談所や児童自立支援施設に入所した、社会的養護経験者です。

(花乃)東京の花乃です。アドボケイトとして0期から活動しています。保育士をやっている時に、虐待とか、命を亡くしてしまったお子さんたちと出会い、何かできないかと思っていました。自分も家庭環境にそういうところがあったので、子どもたちに同じ思いをさせたくないと、アドボケイトの活動を学び始めました。今、心理学の勉強をしていて、カウンセラーをしていますが、子どもたちは生まれてみんな祝福され生きていく権利があるので、そのためにこれからも活動していきたいと思います。

(美和)美和です。1期生としてアドボケイトを学んできました。私もシングルマザーだったことがあったけど、2010年の「大阪置き去り事件」を見て……。私はたまたま親きょうだいが協力してくれて1人で子どもを育てることができたけど、そうじゃない人もいる。虐待は表裏一体、自分でもしかねない。そういった人がいる中で、社会背景や、子どもの声を聴くことで、虐待を少しでもなくしていきたいと思ってアドボケイトをやっています。

●ユース ゆきさん&未來さんより

「声を上げる」ことの意味は?

(川瀬)キクタケ有希さんと未來さんには、声を上げたり、自分の気持ちや考えを他者に伝え、受けとめてもらうことはどんな意味があるのか、社会的養護を経験された立場から、「声を上げるって、何で大事なの?」と、改めて聞いてみたいと思います。

(有希)声を上げることについて。そもそもみんな周りに社会的養護で育った人はあまりいないんじゃないかと思います。実際にそういうところで生活してる人がいて、「実は僕こうなんだ」みたいなことがフラッと言えると、そこで感じていた、一般家庭と社会的養護の壁がまずなくなって、理解が得られていくのではないかと思います。一般家庭と社会的養護じゃ、育っている環境が全然違うし、思いも違うと思う。例えば、家庭に対する考えだったり。

(川瀬)施設と一般家庭で生活している人との間にはやっぱり壁があるので、それを取っ払っていく意味合いがあるということですね。未來さんにとってはどんな意味がありますか。

(未來)声を上げなければ大人や社会に伝わらないので、そこにすごく意味があると思っています。声を上げる根本には、子どものSOSに気付いてほしいがある。それで声を上げて、私の周りは変わってきた実感があるので、社会や大人に伝えるために声を上げるって、やっぱり大事だと思います。

(川瀬)大人に伝えることと、社会に伝えることにはどういう違いがあるのかな。

(未來)大人は「対・人」、目の前にいる人のイメージで、社会っていうのは、私の中ではSNSとかメディアのイメージです。

何が声を上げることを難しくしているのか

(川瀬)逆に、何が声を上げることを難しくしているのか。伝える・受け取る相手とか、社会ということを言ってくださったけど、そういう自分の外側にある要因ってどうしたら解消されるのか。

(有希)外側にある要因でいえば、例えば、「社会的養護」という言葉に、みんなが何を想像するか。社会的養護のドラマがあって、それを見たみなさんが「きっとこういうところで生活したんだろうな」って想像をするかもしれないけど、テレビはテレビで。例えば「施設」というと刑務所みたいな変なイメージもある。僕たちは全然、それとは違うんだけど、つまり社会や人は、勝手に想像して、自分の知っている知識の中で「きっとこの人はこうなんだろう」と決めつけるのが、ひとつ外側の要因だと思っています。

内側の要因は、僕であればけっこう貧しい家庭で育って社会的養護に入ったんですけど、例えば、「貧困」「貧しい」とかのワードへの劣等感みたいなのが、声を上げることの難しさじゃないかと思います。そういうものが気楽に言えるフラットな場所が社会にあればいいけど、なかなかないので。

(川瀬)劣等感がありながら、それを今、隠さず外に向けて話しているけど、何かきっかけがあったんですか。

(有希)僕も自分でいろんな人の価値観とか、話を聞く場を作っているんですけど、そもそも僕みたいな人がいることが、同じような環境で育った人にとっても貴重なんじゃないかと思います。そういう人が何人もいると「私でも大丈夫なんじゃないの」という人が増えてきて、いいんじゃないかと思います。

(川瀬)一人が声を上げていくことで、そういう背景を持つ人がいることが知られていき、同じような人の安心感につながっていく、そういうイメージですかね。未來さんは、何が声を上げることを難しくしていると感じますか。

(未來)そもそも声を上げていいと知らない、助けてと言っていいことに気づけていないと思っていて。私の場合、声を上げられなかった理由が、親のことであれば暴力がある日常が当たり前になっていて、その状況をおかしいと思えなかったことがある。性被害の方は、支援者からの性被害で、社会的に見てそういうことをする人だと思ってなかったし、人ってそういうもんだとも思っていたので、助けてなんて言えなかった。自分の外側……社会に原因があるとするなら、母親もDVみたいな状況だったので、どうしていいかわからないし、それが日常になってたのもあって。性被害の方も、親とその人が連携してて、親からも信頼されてて、社会的にも「そんなことするわけがない」と思われてるような人だったので言えない、という状況でした。

(川瀬)まず内側には、ひどい状況が当たり前になっていて、声を上げてもいいと気づけない。それから、社会的に支援する立場の人からの被害を訴えても、誰にも信じてもらえないのではないかという思いもあった。

(未來)そうです。

(川瀬)いつ、どういうタイミングで「声を上げていい」と気付いたり、「これって普通じゃないんだ」と認識していったのか。

(未來)親のことでいうと、私、児童自立支援施設にいたんですけど、施設の職員さんが、親と面会している様子を見て、おかしいと気付いてくれて。私、最初は職員さんに聞かれても何もないって言ってたんですけど、伝えた時にすごい泣いてくれて。「ごめんね」って言われた瞬間に、私の声が伝わったんだって思った。性被害のことは、今私21歳なんですけど、19歳の頃にある人と話をしていて、私と同じような事件がニュースになっていて、その時に「私もそういうことあった」って言ったら動いてくれて。そうやって動いてくれる大人がいると思ったことで「声を上げよう」ってなってきました。

●虐待が増えているのに、どうして大人は何もできていないんだろう ーアドボケイト 花乃さん&美和さん

(川瀬)ここからは、現場で声を聴いている2人に伺います。仕事以外に休みの日を使って、ボランティアで活動を続けてくださっている、その原動力、モチベーション含めて、どういう経緯でアドボケイトとして現場に立ってらっしゃるかを伺えたら。

(花乃)保育士の時、まだアドボケイトという言葉も知らなかったけど、亡くなってしまう子に何もできなかった自分……もっと力になれたり関われたんじゃないかという思いがあった。「何でこの社会や大人たちは、何もできてないんだろう」といつも思っていた。

自分も虐げられ、自己肯定感を否定され育ってきた中で、聞いてくれる人がいなかったし、そういう環境がなかった。アドボケイトに出会って、自分が小さい時にアドボケイトがいたら、全部飲み込んでしまっていた気持ちも、言えたんじゃないかと感じて。

私自身、3回結婚していて、最初の相手との子どもが、今の夫と養子縁組をしている、ステップファミリーとして過ごしています。うちの場合はたまたまうまくいってるけど、そうじゃない家庭もあるし、中に入ってみないとわからない面もたくさんあると思います。

今は子どもたちと出会うことで自分がとても幸せな気持ちになっています。やりたかったことができていることをとても幸せだと思っていて、それが原動力になるのかな。

(美和)私は、虐待をなくしたいと思って過ごしている中で、何もできていない自分がすごく嫌で。何でこんなにも大人は動かず、虐待が増えていってしまうんだろうって。ただ、自分の仕事や生活を守りながら社会的養護の専門職に就くのは難しい。じゃあ何ができるだろうと探す中で、子どもアドボカシーを知ろうというYouTube配信を見て、「これなら私にもできるかも」と、すぐ養成講座に申し込んでアドボケイトの勉強を始めました。

アドボケイトとして活動する原動力は私も花乃さんと一緒で、ずっと探してやりたいと思っていたことが、今、少しずつできているところ。そして子どもたちと過ごす中で、自分がいることで子どもが変わったり、笑顔を見せてくれることが幸せで、そこが原動力になっています。

アドボケイトとして活動して見えるもの

(川瀬)活動していてどんな時に感情や思考が動きますか? やってみて、どういうふうにアドボカシーが必要だと思うのか、課題に思うことも、お話いただけるとありがたいです。

(美和)アドボケイトは、非専門職の観点で子どもたちの話を聞かせてもらっているので、子どもの視点でより共感できるのかなと感じています。ただ、どうしても社会の仕組み上、応えてあげられない話を聞いたりすると、聞いた瞬間に、叶えてあげられないことがわかるので、もやっとしたりはします。

(花乃)感情・思考が動く場面というか……、最初に施設に伺った時、子どもたちがふつうに遊んだりしてるんですけど、「何でこんなかわいい子たちがここにいるんだろう」って、思考がパニックになるくらい、悲しみや嘆きや怒りや、いろんな感情が出てきた。子どもたちが笑顔で過ごしている姿に、大人としての申し訳なさや切なさを感じて。私たちがふだん当たり前の生活でできていることが、そこではできないと訴えてきたり。もしくはさっき未來ちゃんも言ってたけど、子どもの頃にされてきたことを「当たり前」だと思っている。それは違うよって、すごく、思いましたね。

アドボカシーの意義は……やっぱり、子どもたちも、言えない環境というか、言っても駄目とか、言うこと自体がわからない中で育ってきてるんだと思う。言いたいことはいっぱいあるのに、言えてなくて。アドボケイトが関わることで、自分を否定せず、心を開放して、その子らしさがどんどん出て、大人や人に対して信頼感を持ってくれたら。これから生きていく上での、ほんの一部でいいので、心の支えになれたらいいなと思いました。

課題については、やっぱりまだ圧倒的にアドボケイトが少ないこと。全国にアドボケイトがいてくれたらいいけど。早くそういう制度ができてほしいと思います。

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