2021.09.11 ちば子ども若者アフターケアネットワークキックオフシンポジウム(2)実践報告 千葉県のアフターケア関係団体による取り組み
2021.10.05
イベント
目次
■実践報告 千葉県のアフターケア関係団体による取り組み
続いて、支援現場の実践から見たアフターケアについて、児童養護施設「子山ホーム」職業指導員の池口豊さん、中核センター「長生ひなた」の澁澤茂さん、「ちば子ども若者ネットワーク」の桑田久嗣さんにそれぞれお話を伺った。
施設は生活の場。一緒に悩み、取り組むことが信頼関係を育む
児童養護施設「子山ホーム」の池口さんは、職業指導員。名称を見ただけだと「仕事について教える」ように捉えられがちだが、実際には仕事面だけでなく、生活面や金銭管理、コミュニケーション、社会性、精神面など、自立に向けた様々な準備や、自立後のフォローを担う。
施設には、卒業後、就職する子もいれば、進学する子もいる。住まいについても、一人暮らしや寮の住み込み、グループホームなど、それぞれだ。
池口さんが職業指導員として大事にしているのは3つ。「信頼が基にある関係」、「支援者の思い」、「つながることと、つなげること」だと言う。
施設職員は短くない期間、施設に来た子どもたちと寝食を共にする。特別なケアというより、日々の生活や何気ないやりとりが基本となる。
「朝起きて『おはよう』と始まり、気が進まない子どもにどう気持ちをのせて学校まで一緒に行こうか考えたり。帰ってきて一緒に宿題をやったり、遊んだり、ごはんを食べて『おいしいね』と言い合って、お風呂に入って、「おやすみなさい」を言う生活をしています」
その中で子どもたちは様々に大人を試してくる。いきなり悪態をついたり、口を利かなくなったり、異常なほど甘えてきたり……。そうした時の大人の反応や対応を、とても鋭く観察している。それに誠意と愛情を持って応えることで、「この人は大丈夫な大人なんだ」と認識してくれるようになるという。また、「『一緒にサッカーしようよ』とか、『宿題教えて』など、小さなよくある頼まれごとに、しっかり応えることも非常に大事」と池口さん。「こういうことが、人を頼る、頼むことの始まりだと考えています」。そうして年齢が上がると徐々に内容が複雑で重いものや、相談事となっていく。それを一緒に悩んだり考えて、力を合わせて答えを出していく中で、徐々に信頼の関係が育まれていくのではないか、と池口さんは考える。
「施設の中ではこういった『日常』がただ繰り返されていくように見えますが、その一つ一つを大事にしています」。
また、施設だけでは、年々増える退所者のアフターケアに対応するのは難しいとも感じている。信頼できる事業者や支援者を探すことが必要で、その時に信頼できるネットワークの存在は貴重だと言う。意見を交わし情報を共有しながら、支援を必要とする人につなげていく。それがアフターケアにとって大事だと池口さんは考えている。
大人になってからも「一緒に育つ」視点が必要
アフターケアは、結局は「地域での生活を支えること」とも言い替えられるかもしれない。地域で一緒に過ごして生活を支えていく中で、何が必要で、何が足りないのか、地域の相談支援員の声から学べることはたくさんある。
千葉県には独自事業として24時間365日、子ども、障害者、高齢者含めた全ての地域住民を対象とした、福祉の総合相談事業を行う「中核地域支援センター(中核センター)」がある。スローガンは「誰もが、ありのままにその人らしく、地域で暮らすことができる」。
そんな事業所「長生ひなた」の相談件数は、年間8000件。制度が使えない人、制度ではできないこと、足りないこと、制度が使えるまでのつなぎなど、いろいろなことをやっている。去年からは刑務所出所者の支援もしている。
社会的養護の人とのつながりについて、中核地域生活支援センター「長生ひなた」の所長、澁澤茂さんからはまず、社会的養護の経験者とのやりとりが2つ紹介された。
「施設から定時制高校に通っていたが、20歳を迎え施設を出ることとなり、働きながら一人暮らしして学校に通っていた人。だんだんと気持ちが落ち込み始め、学校も仕事も行けなくなり、学校の先生からの依頼でつながりました。職場は結局退職。学校は、うちの事務所で一緒に課題をやったり、保健室登校を続けたりしながら、なんとかサポートして卒業しました。その後も現在まで10年ほど付き合っていて、アパートの保証人や、精神科の通院に同行したり、ご飯を食べたりしています。施設を出ると、児童相談所との関わりがなくなってしまうので、僕、お母さんに会いに行って、「こういう暮らしをしているから、お互い会いたくなったら僕に連絡ください」と間に入るなどもしています。
また、退所後、家庭復帰したが母とうまくいかず追い出されたケースもあります。年齢的には16、17歳だったので児相の保護も可能だったが、親方のところで土方の仕事をしていたので保護はできず、ひなたの事務所にしばらく寝泊りしながら仕事に通っていました。その後も仕事は転々と変えたけど、今もSNSでつながり、20歳の成人も祝ってます」
このような事例を踏まえても、「アフターケア」について、澁澤さんは「子どものときは付き合ってくれる人がたくさんいるけど、子どもから大人になる時期になると、関わりが持てる時間も、使える制度や社会資源もとても少なくなる」と言う。「何かの制度に引っ掛けられるなら引っ掛けるけれど、引っ掛けられなかったらまずは僕たちが付き合っていく」。
そうやって大人になった人が、今度は子どもを産んで、親として地域の要保護児童対策協議会のケース会議で再登場することもあると言う。
「端境って何だろうと考えますよね……。大人になってからも『一緒に育っていく』みたいな観点が必要なのでは」と澁澤さんは考えている。
アフターケアは「安全基地」のイメージ。そういう場所がたくさんあるといい
ちば子ども若者ネットワークの桑田さんはまず、IFCAりささんの話を受けた感想を伝えた。
「言葉の内容と声色から、社会に対しての怒りのような感情をすごく感じました。たまたま運の様な要素で支援につながれた人もいるというフレーズも印象的でした。でも、たとえ運かもしれないけれど、今つながれた人とどんなことができるのか、運でしかない状況をどう広げていくのかネットワークで考えていきたい」。
桑田さんは普段は障害のある人や引きこもりの人の支援をしているが、児童福祉だけではなく、様々な背景の人が集まっているのがちば子ども若者ネットワークの特徴だと言う。人によっては、アフターケアに関する考えも経験も様々だろう。桑田さんも、模索している。
「アフターケアについて、私も、うまく説明はできないと感じています。でも、アフターケアってなんだろうというのを、自分なりの考えを少しお話ししてみます」と桑田さん。
桑田さんから、アフターケアを行ったケースが紹介される。高卒で施設を退所し、親元に戻るも関係悪化で家出し、キャバクラで働いていた女性の例。仕事は辞めて、生活保護で暮らせるようになったが、保護費をお酒につぎ込んで、家賃や公共料金が支払えなくなってしまった。精神科でアルコール依存の診断が出て、じゃあ治療をどうしていこうかという話しをしていた矢先に、コロナに感染。携帯も止まり、保健所に連絡もできないと、連絡が入る……。
「こういう、生活に困窮している人と個別に付き合うことも、私にとってはアフターケアなのですが、やっている方もいれば、そうでない方もいると思います。アフターケアとひと口に言っても、内容には、関りの密度の濃淡とか幅が、いろいろあるのでしょう」と桑田さん。
そんな中で、自分のアフターケアの具体的イメージについて、「安全基地」の例を上げる。「社会の中にアフターケアができるような場所をたくさん作っていく。アフターケアそのものの話題ができなくても、その人が安心や安全を感じられる場所や関係性があれば、そこは安全基地になり得る」
2つ目は、「伴走支援」。「その人の状況に応じて、本人が社会と関わっていくことを、アフターケアをする人も一緒にできる」
3つ目が、「伴走する人がいなくても、社会の様々なところにアフターケアの要素がプラスされ、インストールされていくこと」だと言う。「ちょっと話せば背景に思いを馳せてもらえる場所がたくさんあると、もう少しいろいろなところとつながりやすく、サポートも受けやすくなる」と話す。
また、アフターケアの場所や、アフターケアになれる人、要素とは何か、という疑問も投げかける。
「周りが勝手に『これがアフターケアだ』と定めるより、経験した人の言葉からスタートしていく。また、行動を通じて社会がどういう反応をするか。反応を受け取ってアフターケアがどう変わっていくか。つまり社会と影響を与え合って発展していくいいのだろうと思います」