2021.09.11 ちば子ども若者アフターケアネットワークキックオフシンポジウム(3)パネルディスカッション『みんなで千葉のアフターケアのこれからについて語り合おう』
2021.10.09
イベント
目次
■パネルディスカッション『みんなで千葉のアフターケアのこれからについて語り合おう』
実践報告の後は、安井さん、池口さん、澁澤さん、桑田さんが参加して、パネルディスカッションを行った。
「アフターケア」とはそもそも何か?
(安井)アフターケア を一言でどう言い表しますか?
(池口)高校生は、そもそもアフターケアという言葉自体どういったものか知らないのかもしれません。
僕自身、アフターケアを一言でと言われても、やっぱりバシッとは言えない。「困った」の声があったら、できる範囲でできる限りのことをする、ということでしかない。でも、できることも少ないので、いろんな人の意見を聞きながらというのが僕にとってはアフターケアだと思います。
(安井)子どもたちは普段アフターケアって意識してないし、施設での日常のケアの中で、どこからがアフターか、という線引きは難しいですよね。
(澁澤)定時制高校の先生たちと定期的に連絡会をしてるけれど、最初の頃は時間の感覚の違いを感じました。僕は、いま何とかならなくても、5年後、10年後につながればいいという感覚だけど、学校の先生は、1年とか、最長でも4年しか子どもたちと付き合わない中で、「ここにいるうちに何とかしなきゃ」「何か伝えなきゃ」となる。社会的養護の施設と似てると思います。アフターケアについても、僕たちは常に「ナウ」で、「アフター」という感じはない。
支援につながれるかが「運」になってしまっている現状
(安井)先日、障害福祉、高齢福祉、児童福祉の違いについて話を聞く機会があったのですが、高齢者福祉は身体能力が衰えるほど支援がどんどん手厚くなり、天寿を全うする。要するにアフターケアというと、天寿を全うするまでがゴール。障害福祉は長い人生を支えていく、基本的に「終わり」がない。児童福祉は18歳がゴールで、そこに向けて何をやるのか。そのような違いがある中で、何をもってアフターケアとするのか、ケアはいつまで続くのか、終わりはないのかとか、考えだしたらきりがない。ただ、「アフターケア」の内容にもバラつきはあって、正直、「運」になってしまってる。バラつきや違いって、どこから生じてしまうんでしょうか?
(桑田)何らかの要素、つまり「これが理由で支援につながれる、つながれない」ということがはっきりしたら、多分それは、運とは言わなくて済むようになるんですよね。
学校や施設などで、既につながっている人の紹介や、SNSやネットのゲームで知り合った人からの紹介で相談につながる人もいます。支援者でなくても、いろんな人とつながって、たまたま情報を得られた、だから行動できた、もある。
(安井)「運」「たまたま」としか見えないこと自体が課題かもしれません。その背景に根拠があるかもしれないし、ないかもしれないけど、精査することは必要かもしれない。
公的責任での把握には限度がある? 支援者の「思い」について
(安井)コメントに、「運でつながったケースの背景には、相談を受けた人の温かな思いがあってつながったのでは」と来ています。「この子を何とかしたい」という思いから、誰かにつなげようと、つながりができていくのかもしれません。この「思い」についてはどうですか?
(池口)児童養護施設に勤めていて、そこで出会った子たちにはどうしても思いはこもっちゃいます。本当にいろんなことを一緒に乗り越えていっているので。支援したい人、思いのある人、たくさんいると思うけど、具体的な行動や支援の形にする方法がわからない、ということはあるのかもしれないですね。
(安井)いろんな人がいろんな思いを持っているからこそ、ぶつかることもあります。そんな中、うまくやってくには、どういう工夫があるといいでしょう?
(渋沢)けっこう無理な質問(笑)。りささんの「いつか誰かが話を聞きに来てくれるのを待ってたけど、誰も来なかった」という話は切なかったです。一方で、そういうことに対応する組織として、要対協(要保護児童対策地域協議会)があります。ところが、たとえば要対協で上がってきた姉弟のケースで、偉い人が「様子見」と判断したことがありました。そこでうちのスタッフがブチギレ、「うちに来るよう言って!」と。その後、姉弟は時々来るようになりました。
公的責任で把握していくには限界があると思っていて、一人ひとりとちゃんと付き合うこと、それが「思い」なのかな。でも、最低限それぞれの職域でやることはやる。それをお互いに理解し、はみ出た部分をどうするか考えられると、気持ちよくつながっていけるんじゃないか。連携から信頼へとなっていくのかと思います。
(桑田)「公的責任で見ることには限度があって、一人ひとりと付き合っていく」のは本当にその通り。ただそれがきちんとできるには、支援する側の心身に余裕が必要です。支援で対立して、守りに入るようになっちゃうと、気持ちがうまく開けず、「付き合う」を難しくすると思います。だから、「これはアフターケアかどうか」で対立するより、「その若者のためになることはきっと大きくアフターケアになる」という思いをもって、大同団結して、連帯していくことが大事なんだと感じました。
(池口)アフターケアという言葉が前に出る必要はない。それで退所者が「よかった」と思えば、それ以上はないと思う。
(安井)こういう話を支援者中心で話して勝手に満足していてもいけないので、IFCAのりささん、どうですか?
(理沙)「アフターケアに年齢制限いらない」というコメントがあったけど、私も、ライフステージや、生い立ちに直面した時に、苦しくなることがあると思うので、年齢で途切れない支援があったらと思います。社会的養育を経験した人たちは、ベルトコンベア式に支援関係、人間関係がぶつ切れていくので、年齢に限らず長期的につながっていける支援関係があったら不自由さが軽減すると思います。
(岡)私は大学で働いていて、社会的養護を経験した学生さんで中退した人もいます。自分に何ができるか考えたとき、その後もその子に関わり続ける存在になるだけでなく、会社や大学などに理解者を増やすことが、私たちにできること。あとは、システムって用意されているだけだと機能しないので、やっぱりあたたかい思いを持った、「つなげる人」が必要です。運ゲーの側面は完全にはなくならないけど、あたたかくない人に出会った時、「人に相談しても無駄だった」ではなくて、「今回は運が悪かった」と客観的に思ってほしい。そのためには、SOSを出したら応じてもらえたという経験を、子どもの内から1個でも積めたらいいと思います。
(安井)アフターケアと言いつつ、子どもの頃からどんな関わりを続けていくか、その延長の話でもありますね。
(渋沢)子どもじゃなくなると、障害の方とかに引っかからないと、使える資源が全くなくなっちゃう。特に社会的養護を経た人は家族が頼れない。18歳、もしくは高校を中退してから20歳になるまでの人をどうするかは、緊急の課題。刑務所を出所した人も抱えている課題に同じようなところがあるので、特有の問題なのか、横出し(※一般には聞き慣れない言葉。言い換えある?)の問題なのか、その辺は少し整理した方がいいかもしれないですね。
(安井)特有の問題なのか、もっと広い視点での問題なのかは考えたいところです。例えば社会的養護経験者の進学率が低い問題も、そもそも東京と地方で一般家庭の進学率はかなり違う。これは社会的養護だけでなく、子ども・若者全体の貧困対策自体が道半ばという問題でもあります。そういった観点で考えると、どこをどう制度として拡充すべきなのか、見方が変わっていくと思います。
■参加者からのコメント
パネルディスカッションの最後には、シンポジウムの参加者である支援団体の方たちの紹介もなされた。それぞれの立場から、アフターケアについて思うことの発言があったので、紹介する。
自立援助ホーム「未来の杜」ホーム長、平安洋一郎さん
おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人たち、誰でもアフターケアしてくれる社会になったらいい。そういう思いを持つ方はたくさんいるけど、相談を受けてもどこにつないだらいいかわからない方も多いと思う。つなぎ方のマニュアルや仕組みを作って、協力者を増やしたらいいんじゃないかと思いました。うちも、ホームの外に「悩んでることがあったら相談してね」とか看板を作って、少しでも開いていきたい。
ファミリーホーム「実感デイズ」平林智之さん
児童施設の職業指導員さんと情報交換や勉強をしていて、アフターケアや自立について考える仲間、横のつながりがあることに心強さを感じている。アフターケアというと自立がテーマになることが多い。僕は若い頃は、自立って何でも自分でできるようになっていくイメージが強かったけど、いま自分も周りの人に頼って、助けてもらったり応援してもらいながら、何とか生活できている。我々は支援する立場であると同時に、誰かに支えられている。子どもたちが、僕らのそんな姿を見て、大人になって、全部自分で無理してやらなきゃじゃなくて、苦手なこと、できないことを人に助けてもらいながら生きていけるようになることが、大人になるステップだと感じてほしい。
「ちばアスターケアネットワークステーション」斎田由美さん
このアフターケアの仕事は、「子どもたちとさよならをしなくていい仕事」。先ほどお話に出た「安全基地」のひとつになれればとも思っている。退所後もつながってくださる施設や里親さんもたくさんいるけれど、「今」相談できるのはどこなのか、誰なのかと困っている人が多い。やっぱり社会的養護下の若者たち、社会に対する不安を本当に抱えている。一方で大人たちが仲良くしている姿を見ると心がほころんでくれる場面も多く見ているので、関係機関の皆様との関係性を大事にしたい。
「千葉県弁護士会子ども・若者貧困部会」弁護士の足立啓輔さん
コメント欄にも、「家族神話」や「人生運ゲーだった」というような、いろいろと刺さる言葉出てきた。私たちは、その運ゲーの攻略法を考えたり教えたり、作ったりしていかなくてはいけない。弁護士につながるべきところでつながってない方も多いが、敷居が高い、怖いというイメージもあるのかもしれない。実際、こういう社会援護みたいなことはお金にならないので、相談してもあまり解決策を提案してくれない、何もやってくれない弁護士もいる。せっかく勇気を出して相談に行ったのに、そういう弁護士に当たってしまって、全然対応してくれなかったら、やっぱり弁護士とつながる気をなくしてしまうと思う。私たちや安井先生は、この分野に関してお金にならなくてもやるべき、やらなきゃいけないと思っている。社会福祉士さんとかがいっぱい参加しているライングループもあって、そこで自由に相談してもらって、お互い協力し合ったりしています。そういうアクセスしやすい関係を作っていくといいと思う。もう一つ弁護士にできることは、法律や政策を政治的に変えていくこと。新しい公約を作っていく時には必要。弁護士会は積極的に意見書出したり、政治家と話をする機会もあるので、そういうツールとして弁護士を使ってほしい。
聖愛乳児園の森田雄司さん
この世界に入って45年。私が若い頃は施設は15歳で退所だった。15歳までしっかりと育てれば、後は社会に出てからはその子たちの自己責任だと思っていた。その後、横浜のファミリーホームを経て、千葉の施設に戻ったのだけど、かつての卒園生たちと話したら、僕らが知らないところで随分苦労していた。みんな誰に頼ってたかというと、同じ施設にいた仲間。死ぬまで付き合ってあげるって現実を見て、我々施設職員がその子たちの長い人生に責任を持たないってことはないだろうと、千葉県で「若人自立支援機構」という団体を始めた。各施設でお金を集めて、子どもたちにお金を貸したり、住居を提供したり、仕事の面接会をやったりいろんな工夫をした。なかなか後継者がいない中で、ちば子ども応援団がバトンを受け取ってくれた。
子どもたちのこれからを考えた時、アフターケアという言葉で語ることはできないと思いながらも、一番必要なのは、子どもたちがこれから生きていく人生に対しての想像力。子どもたちが大変な思いをしてることに想像力を働かせれば、ひとりの大人として何をやらなきゃいけないか答えが出てくると思う。これから何度も話し合いを続けて知恵を出し合いながら、卒園する子どもたちに寄り添う活動を続けていただけることを切に願います。